弁護士 宮本 督
エッセイ:to be a Rock and not to Roll
株式会社ニッポンの残酷な罠
一昔前に興隆を極めた老舗企業の社外役員をやらせてもらっている。かつては業界で№1にもなった会社で、先代の間に蓄えた資産がたんまりあるものの、ここ10年ほどは、ほぼ連続して大赤字の垂れ流しで、さすがに、大幅なリストラが必要な状況になって、弁護士を役員に起用した次第。
こういう会社で整理解雇ができるのか(連続大赤字でも、まだ資産超過状態にある)なんていう労働法の問題もあるし、それだけじゃなくて、会社法や倒産法も使った解決手法もいろいろ研究しているのだが、そういった法律問題の難しさなんかより、つくづく思い知らされるのは、日本の会社のサラリーマンって、どんなに役立たずでも、結局、会社にしがみつかざるを得ないんだなっていう現実だ。
この会社が大赤字なのは、二代目のぼんくら経営者(失礼)だけじゃなくて、今や50歳代になっている中高年の社員たちの労働生産性の低さにも原因があって、そんな彼らに同情する必要はないと考える向きもあるかもしれないが、彼らの会社依存体質も、単純に、彼らが作った問題と言い切れない面もある。
日本の会社は新卒で社員を雇い、異動や転勤で様々な仕事を体験させる。「ゼネラリスト」とか「スペシャリスト」なんて言葉が一時代前に流行したが、サラリーマンの多くは、ゼネラリストだなんて称賛されながら、実際のところは勤務先でしか通用しない特殊技能を学ばされるに過ぎない(その意味ではスペシャリストといえなくもないけど)。実際、他の会社でも通用するようなスキルは持ち合わせていないから、転職は容易でない。そして会社の方も、その会社でしか通用しない特殊技能者の集まりだから、そういった技能を持たない他会社からの転職者を受け入れる余地に乏しい。こうして、余る人材は流動することなく、ますます固定していくことになる。
もちろん、こういったことは今に始まったことではない。この国の人事制度はピラミッド型で、年齢が高くなるにつれてポストの数は減っていくから、当然、出世競争から脱落した余剰人員の処理が必要になるわけで、高度成長期には、子会社や関連会社がその受け皿になってきた。しかし平成以後の低成長のせいで、今となってはそんな余裕はどこの企業にもなくなってきたのだ(公務員にはまだまだあるみたいだけど)。
もはや50代に差し掛かっている1960年代(後半)生まれの、いわゆるバブル世代の憂き目を描く、「バブル入社組の憂鬱」(相原孝夫著)を、仕事の合間に興味深く読んだりしながら、いろいろと思いめぐらせてみているが、今、バブルおじさん達の悪口を言ってる若い世代の面々も、会社に言われるままただ漫然と働いているだけだと、いずれこの日本的雇用慣行の残酷な罠に陥ることになる。バブル世代の憂鬱は、おじさん達が無能なのに能天気だからではなく(確かに、そういった面もあるだろうけど)、この国の会社の構造的な問題によるものだからだ。
というわけで、役立たずのサラリーマン個人を責めても仕方のないことかも知れないが、責任がないからと言って誰かが助けてくれるというわけでもない。友人のまだ30代前半のサラリーマンは、仕事には直接の関係がない分野の勉強に余念がなく、いろいろな資格に次々にチャレンジしている。加齢による引退が間近なホステスの知り合いは、いずれレストランを開くつもりで、ワインを熱心に勉強していてソムリエの資格を取る等の努力を続けている。世の自己啓発本の多くも、英語とか経理とかの勉強や資格の取得を勧め、コミュニケーション能力や営業力を身に着けることを推奨しているのはご存知のとおりだ。結局、会社に頼らない心意気や、会社の外でも通用する能力を得ようとしない者には、悲しい末路が待っているだけなのだ。(そして凡百の無害な本が売れ続けているのは、この国は、そういった努力をしない人だらけなのだろう)。
やっぱり、無自覚で何の努力もしてこなかったサラリーマン達に問題の根源があって、可哀想だって思う必要なんてないのかも知れない。そう割り切って、関与先では、思い切ったリストラ案を考えてみることにしようかな。