弁護士 宮本 督
エッセイ:to be a Rock and not to Roll
毎年秋の恒例行事――民事訴訟の停滞
皆様、秋です。空は高く、吹く風は気持ちよく、食が進みます。ビジネスマンの皆様は、年末の忙しい時期を目前に控え、どこか慌ただしく、せわしなくなっていく頃でしょう。10月からは下半期という会社も多く、心機一転、新分野にチャレンジという方も少なくありません。
そんな充実を迎える季節に、毎年恒例の停滞期・倦怠期・滞留期を迎えるものがあります。この国の民事裁判です。
民事の裁判は、だいたい1か月に一度くらい開かれる法廷の連続で、双方の言い分を戦わせ、言い分の食い違う問題点について証人になる人を呼んで尋問するという手続を踏んで、その上で、最終的な話し合いをしたり、最後の主張を法廷で述べて、判決に至ります。証人尋問をすると、1か月後のその次の法廷が和解の話し合いで、決裂したらまたその1か月後の法廷で最後の主張があって、それで審理は終結。判決は大体その2か月後という感じです。そうすると、秋のこの時期に、いよいよ裁判の大詰めを迎えそうな事件は、その後の証人尋問を経て判決の言い渡しが、翌年の3月末に間に合わない公算が高くなります。
ところが、裁判官は、ほぼ3年に一度、4月1日付けで転勤します。しかも、裁判官の出世は、事件を処理した件数で決まると言われています(もちろん、判決の中身も関係するようですが、誰にも分かりやすいのは処理件数です)。そうすると、現在の任地で3年目を迎えている裁判官たちは、翌年3月末までに、自らが判決の言い渡しまでできる事件の審理を優先して(処理件数を稼げるからです)、まだまだ時間がかかりそうな事件の審理は後回しにしてしまうことになり、そのような事件はなかなか進行しないということになります。3年に一度、転勤があるということは、概ね3分の1の裁判官が次の4月には転勤で、手持ち事件の中でも複雑そうな案件は終局できる見込みがないと思うでしょうから、私たち関係者の体感としては、審理中の民事訴訟事件のうち、ちょっと複雑なものの4分の1くらいは、この時期、進行スピードがてきめんにノロくなってしまう印象です。
驚かれる方も多いのではないでしょうか。一般にはあまり知られていないことのようですが、私たちの業界では知らない人は誰一人としていません。
私が弁護士登録した20年前から、既にこういったことは行われていました。ただその昔は、裁判官は、恥ずかしそうに、あるいは申し訳なさそうに、こういったことをしていたものです。もちろん、自らに割り当てられた仕事は、任期満了までの間、どれも一生懸命に、等しく頑張るというのが建前で、実際にそういう誠実な裁判官もいました。または、そのように誠実にやっているように見せるのが上手い裁判官だっただけなのかも知れませんが。しかし、ここ数年、そんな誠実な、あるいは誠実そうな裁判官は、ほとんど見かけることがありません。裁判官たちは、大っぴらに、悪びれる様子もなく、いわば当たり前のことのように(人によっては当然の権利行使のように)、審理が長引きそうな案件の手抜きをするようになっています。具体的には、解決済みの論点を取り上げて再整理するように促したり、皆が忘れていたどうでもいいような微細な問題点について主張や証拠が足りないと言い出してその補充を要請したりして、その他、アリバイ的に、一応必要な指揮をしている外観だけを用意して時間を稼ごうとします。あるいはもっと露骨に、何らの指針も示すことなく、双方の弁護士に対し、どれくらいの条件だったら和解できるか次回の法廷までに考えてきてほしいと言い出したりします。弁護士たちも、何か言っても無駄なことを知っているからでしょうか、それとも、進行が遅くなることは、正直、多忙な業務の一部を先送りできて有難い面もあったりするからでしょうか、そんな裁判官に表立って抗議するような人はいません。そして、こんな実態を依頼者に報告することもありません(多分)。
司法試験の大量合格が、弁護士や裁判官の能力の低下を招いたことは広く知られていますが、残念ながらそれだけでなく、モラルも低下させてしまったようです。それとも、原因は別のところにあるのでしょうか。
ただいずれにしても、こんな事務渋滞を引き起こしている裁判官ですが、次の任地に赴いてみたら、前任者の「権利行使」によって、複雑な案件だけが未整理・未処理のままどっさりと残されていて、それらを一つ一つ片付けていくことになります。お気の毒なことですね。そして4月に開かれる法廷では、着任したばかりで検討がまだできていないなどと、またまた悪びれずに開き直ってみせてくれます。そんな事件の審理が本格的に再開されるのは早くてゴールデンウィーク明けになり、都合、半年以上、進行が停滞することになるのです。そして、この国の裁判所では、こんなことが、毎年毎年、当たり前のように繰り返されているのです。