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弁護士 宮本 督

エッセイ:
to be a Rock and not to Roll

2012.01.01

元特捜部長の獄中手記

 あけましておめでとうございます。
 日常が変わらない日常であり続けていることへの感謝の思いを強くする今日この頃です。
 本年もご指導ご鞭撻の程、何卒お願い申し上げます。

 さて、さて、さて。
 昨年末に出版された元大阪地検特捜部長の手記「勾留百二十日」(文芸春秋)を他の本と併せて購入したのだが、少し気になって読み始めたら止まらなくなってしまい、一気に読了。
 狭い法曹界のことなので、登場する検事さんや弁護士さん達の中には、直接間接に知っている人も少なくないし、特に、フロッピーディスクの改ざんが報道されてからの大阪地検内部の人間模様は、関係者たちから聞く限り、反吐が出そうな話ばかりだったけど、そんなことはいずれまた。
 今回のエッセイは、この手記の中身。逮捕する立場の者が、逮捕される側に回り、大阪拘置所に勾留された120日間の心の揺れが、正直に、やや(というかかなり)冗長に描かれていて、最高検に戦いを挑んだ以上、覚悟の上とはいえ、過酷な現実は受け入れ難く深く苦しみ、家族・友人・弁護士たちの接見を待ち望み、拘禁反応の中で平常心を保つよう努め、その後、今回の件は天が与えた試練と思い、心に救いを見出していくまでの心情が吐露されている。信頼し目をかけてきた部下たちに裏切られ、検察に貢献してきた自負心を踏みにじられた屈辱感を味わいながら、他方でこれまで自分が逮捕し勾留してきた被疑者・被告人たちの心情にも思いを致すに至る。
 その筆致は、極めて迫真的なのだが、しかし、本書で注目されるべきは、検察の、特に特捜部の捜査手法が語られる部分にある。
 たとえば、彼は、自分が犯罪を否認している以上、最高検は、保釈を徹底的に争うだろうと述べる。否認を続けると保釈が認められず勾留が長引くのではないかという被疑者・被告人の不安・恐怖心理を利用して自白を迫る手法を、「これは検察官の大きな武器である。」といい、「検察に残された唯一のカードがこの人質司法である。」という。ん?おいおい、いいの?
 否認するのも黙秘するのも被疑者・被告人の権利で、そのことで不利益に扱われてはならない、身柄を閉じ込めて自供を迫るような手口は間違っていて、こういった捜査手法が冤罪を生む温床にもなっている、というのが刑事弁護人サイドの主張で、検察庁や裁判所は、いやいやそんなことはございません、否認してるから保釈しないんじゃなくてですね、証拠を隠滅する危険があるから保釈を認めないんです、身柄を押さえて自白を迫るなんて、そんなことを意図しているわけではないんです、人質司法だなんて言われ方は心外です、というのが公式見解なはずなのだが、さすがは泣く子も黙る特捜部にずっと在籍してきたエリート様は言うことが違う。「現役時代、そのカード(人質司法)を使ってきた私が、逆の立場になって最高検にそのカードを使われたからといって、泣き言は言うまい。」と立派な決意を悲壮に述べてみせたりする。感動的だ。
 それだけじゃない。よく知られているように、特捜部の捜査は、時には国策により、時には世論により、証拠が薄くても、結論ありきで「道なき道を突進する」もので、そのために被疑者を含む関係者に対し「検察ストーリー」に沿った自白を迫る手法をとる。そのような自白調書にサインを得られる検事が有能で、上役のお気に召すような供述が得られない検事は無能と扱われるわけだが、検察庁の建前としては、いえいえそんなことは決してございません、予めの見立てに沿った自白を迫るなんて野蛮なことは決して致していません、捜査では客観的な証拠が何よりも大事で、人の記憶や立場によって左右される可能性のある供述は、客観的な証拠を二次的・三次的に補完するものに過ぎません、というもののはずなのだが、もちろん、元特捜部長様はそんなジョークは脇に置いて、本音トークを炸裂。何の留保もエクスキューズもなく、声高らかに曰く。かつて担当した事件で偽装事故による保険金詐欺と見立てたが、客観的な証拠は状況証拠だけで決め手がなく、関係者全員が犯罪を否定していたため、その状況の中で自らに課せられた使命は、主犯格と思われた男性から自白をとることだった、いかに科学的立証の必要性が説かれようとも、自白が得られない限り、DNAや遺留指紋によっては全容の解明はできない、と。憤りを覚えるというより、あまりのおおらかさに呆れて笑うしかない。
 また、法の下では皆平等で、刑事司法権の行使に当たっては、市井の名もなき庶民も、政治家や官僚も同じように扱われることになっているはずなのだが、もちろん元特捜部長様は大威張りで高級官僚の特別扱いを開陳。郵便不正事件で、「厚生労働省の局長という枢要ポストにいた村木氏を逮捕起訴するにあたっては、...もし失敗すれば特捜部そのものが大きく傷つくという極度の緊張感の中で慎重かつ緻密に捜査」し...、わざわざ高検や最高検の検察上層部ばかりか検事総長の了解も得ていた、と。
 その他にも、本書には、(無意識な)ぶっちゃけトークが山盛りに満載されているのだが、逆に、筆者が明らかに口をつぐんだと思われる点が一つ。彼が担当していた三井環元大阪高検公安部長による収賄・詐欺事件のことだ。本書では、過去の特捜捜査の過程で自身が直接承知している「検察の秘密」を暴露したいとの誘惑に駆られたことや、「検察の危機」を救った経験が随所に語られているが、その具体的内容は一切明らかにされていない。少なくとも多くの司法関係者にとっては、それが三井事件であることはほぼ自明なのだが、本文中では、他の有名事件には言及されながら、三井事件については何も触れられていない(本書奥書の著者の経歴紹介欄では、筆者が三井事件の捜査に当たっていたことが明記されている)。この爆弾を持っていることを示すことで、今後、検察との実質的な取引を図りたいというのが、本書出版の本音なのかと邪推してみたりもした(やっぱ違うかな)。
 いずれにしても、起訴されている犯人隠避罪については、間もなく(3月30日だそうだ)、判決の言い渡しがされる。元部下の検事たちの証言が報道されているとおりなのであれば、この国の出鱈目な刑事司法の中枢を担ってきた彼自身、自らが無罪になる可能性がどれほど低いか身にしみて知っているはずだろう。