弁護士 宮本 督
エッセイ:to be a Rock and not to Roll
2005.05.28
アフリカ音楽の恍惚
深夜、というか早朝。アフリカ音楽。8人編成のバンド。ギニアのマンディンカ族の伝統的なパーカッション「ジェンベ」をはじめとする様々な太鼓が響きあう中、悪魔や神々や原始的な力を象徴するダンサーの陶酔が1時間以上に渡って繰り広げられる中にいた。
それは実際、ファナティックな儀式と呼ぶよりないもので、どんな酒や薬より力強く私を恍惚状態へ連れ込んだ。それだけではない。その儀式は、信じ難いほどの絶え間ない緊張状態を私に強いた。終演の直前、私の脳髄の深い暗黒の闇を、何かが通り抜けた。私はエネルギーの照射に耐えられず、自らがトーキョーの頽廃的な虚弱児に過ぎないことを思い知らされた。
その昔、ビートルズのジョージ・ハリソンは、インド音楽に触れた後、スタジオにこもり、それまでに作成していた録音テープを逆回しで聞き、次いで二重にも三重にも重ねて聞いたという。ジョージ・ハリソンは、そのテープに逆回しのドラムの音を重ねた。逆回しのメロディを録音した。かがり火の輪や暗闇の脅威を暗示する電子音をオーバーダビングした。それは、ジョージ・ハリソンの、すなわち「現代」の困惑そのものだった。
ジョージ・ハリソンを持ち出すまでもない。
私は、早晩、不様にくたばってしまうだろう。だが、それは、文明という名の下に、精神の荒廃を押し進めた「現代」の姿に他ならない。私には、ただ、疲労と困惑が残るだけだった。
しかし、疲労と困惑だけが、現代なのだ。