弁護士 宮本 督
エッセイ:to be a Rock and not to Roll
みちのくひとり旅
最近、仕事で、陸奥一人旅の日々を送っています。毎週のように東北出張です。
始まりは、今年の2月。大雪の日でした。地元の新聞ではデカデカと取り上げられました。テレビのニュースにも登場したそうです。それから、だんだん温かくなって、でもまた寒が戻ったり、そろそろ北国にも春を感じたり、気候も仕事も、そんな感じです。いろいろ大変ですが、東北出張は、まだまだ続きそうです。
んで、陸奥一人旅といえば、ジョージ・ヤマモトです。「ここでぇ一緒に 死ねたぁらぁいいとぉ すがる涙の いじらぁしさぁぁ」でございます。この歌、小学生だった頃に歌謡番組でよく聴いたものです。お陰様で、今でも、歌詞を覚えています。実は、当時、この歌の詩の意味がまったく判りませんでした。大人になれば分かるようになるのかな、と謙虚な宮本少年は思ったものです。でも、少し恥ずかしいんですが、はっきり言いまして、今でもさっぱり理解できません。
だって、歌い出しで、女に心中をもちかけられて、すがったりされながら、その場しのぎの慰めとか言うだけで、東北へお出かけでしょ。んで、「生きていたなら いつかは逢える」とか、言うに事欠いて「夢でも逢える」とか、いい加減な、しょーもない気休めを言い放って、それなのに、「遠くなるほど いとしさつのる みれんがつのるだけ」って、あんた未練たっぷりじゃねえか。それで極めつけに、たとえどんなになんちゃらかんちゃらで、「お前が俺には最後の女」って、しつこいっつーの、そりゃねえだろう、じゃあ、最初からその女と一緒になるか、一緒に死ぬかしとけよ、バッカじゃねえかって思うんですけど、私の方がバッカなのでしょうか?
結局、この詩の最大の失敗というか、正確に言いますと私にとっての最大の疑問点は、東北地方への旅に明確な目的が感じられないことにあるんです。まさか、戊辰戦争とか奥羽越列藩同盟とかじゃ、ないでしょ。だって、それなら「生きていたならいつかは逢える」なんて言わないだろうし、大体「ひとり旅」なんだもん。んで、どうせ大した目的もないくせにそれで、そんな未練たらたらに女のことを絶叫するくらいなら、最初から、旅になんて出なけりゃよかったんじゃないの、と思ってしまうわけで、やっぱり、私って、お馬鹿さん?
私の陸奥一人旅は、気楽にのんびり、グリーン車とかでビール飲んでイビキをかきながらになります。「月の松島」も「しぐれの白河」もあっという間に通過です(って、大体、どこなんだ?)。もちろん、心中も未練も最後の女も何もありません。でも、今回の仕事、陸奥の気候といっしょに、だんだん温かくなってきて、って、だんだん関係者の理解も得られるようになってきて、「桜咲く」な感じでございまして、北国にもようやく遅い春がやって来たなと感じ、「雪解け せせらぎ 丸木橋」で、「北国の春」って感じで、そういえば、今回の仕事、マサオ・センの出身地の事件だったことを思い出したりしました。