弁護士 宮本 督
エッセイ:to be a Rock and not to Roll
100年前のお話し
これから書くのは約100年前、1918年から1920年頃のお話しです。
第1次世界大戦(1914年から1918年)の最中、ロシアでは共産主義革命が起こりました(1917年)。日本では、米騒動の後、原敬内閣が成立(1918年)。朝鮮の3.1独立運動や中国の5.4運動が1919年。関東大震災はこの少し後の1923年です。
そんな時代、世界を席巻したのがスペイン風邪でした。諸説ありますが、世界の人口(18億)の約3分の1が感染し、2000万人から5000万人が亡くなったとされています。死者は、第1次世界大戦による犠牲者を大幅に上回りました。国内では、当時の人口約5600万人の4割に当たる約2400万人が感染し、死者数は39万人とも45万人とも言われています。
欧米で流行が始まったのは1918年の春のことでした。ただ大戦中のことで、イギリスやフランス、アメリカなどの政府は、報道を規制して流行を隠しましたが、大戦に参加していなかったスペインでは情報統制等はされず、国王や閣僚の感染、工場や様々な商業施設の閉鎖といった混乱状況が広く報道され、これにより発生源がスペインと誤解され、広く、スペイン風邪と呼ばれるようになりました。
日本でその流行が始まったのは1918年8月下旬です。横須賀港に寄港した軍艦に多数の感染者が乗船していたのがきっかけとされ、早くも10月中には全国各地で爆発的に蔓延することになりました。日本でのスペイン風邪の流行には3度の波があり、第1波は1918年8月から1919年7月、第2波は1919年9月から1920年7月、第3波は1920年8月から1921年7月です。内務省の報告書によると、感染者数は第1波の期間中が最多でしたが、致死率は第2波期間中が最も高く5.3%にも上りました。「空しく床上に呻吟するもの少なからず、はなはだしきに至りては医師もまた本病の魔手にたおれ診療の途絶えたる地方あり」と医療崩壊の様子も記されています。
内務省衛生局は、流行が始まって5カ月後の1919年1月にようやく「流行性感冒予防心得」を発表します。呼吸保護器(マスク)も奨励されていました。曰く、「時節柄、芝居、寄席、活動写真などには行かぬがよい...かぜの流行する時節に人に近寄るときには用心して咳やくしゃみの泡沫を吸い込まぬよう注意なさい...人の集まっている場所、電車、汽車などの内では必ず呼吸保護器を掛け、それでなくば鼻、口をハンケチ、手ぬぐいなどで覆いなさい...ハンケチも手ぬぐいもあてずに無遠慮に咳をする人くしゃみをする人から遠ざかれ」。
一部の自治体は、指定流行地内の劇場や寄席、活動写真館などの入場者やバスの乗客らにマスク着用を義務付けました。そのような中、深刻なマスクの供給不足が生じ、暴利をむさぼる商人が現れ、警察による取り締まりが行われました。
アメリカでは、サンフランシスコ市が、1918年10月、マスク着用を全市民に義務付ける法律を制定し、違反者は罰金を科されるか、最長で10日間の身体拘束を受けることになり、施行初日には110人の逮捕者が出ました。ここから、マスク着用を巡る大論争が起き、いったん着用義務は解除されるのですが、第3波の到来を受け、サンフランシスコ市は再びマスク着用令を施行。これに反対する市民らにより「反マスク同盟」が結成され、数千人が集まる抗議集会も開かれ、マスクの着用は政治問題に発展しました。
国内に目を戻しましょう。流行初期の1918年11月10日付けの横浜貿易新報には、歌人の与謝野晶子(夫の鉄幹を含め子供たちが次々と感染しました)の寄稿文が掲載されています。
「今度の風邪は世界全体に流行っているのだといいます、風邪までが交通機関の発達につれて世界的になりました...伝染性の急激な風邪の害は、米騒動の一部的局部的の害とは違い、大多数の人間の健康と労働力を奪うものです...政府はなぜいち早くこの危険を防止するために、大呉服店、学校、工業物、大工場、大展覧会等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでしょうか...そのくせ警視庁の衛生係は新聞を介して、なるべくこの際多人数の集まる場所へ行かぬがよいと警告し、学校医もまた同等の事を子供達に注意しているのです。社会的施設に統一と徹底との欠けているために、国民はどんなに多くの避けらるべき、禍を避けずにいるか知れません」。
「今度の風邪は高度の熱を起し易く...、解熱剤を服して熱の進向を頓挫させる必要があると云います。然るに大抵の町医師は薬価の関係から、最上の解熱剤であるミグレニンを初めピラミドンをも呑ませません。胃を害し易い和製のアスピリンを投薬するのが関の山です。一般の下層階級にあっては売薬の解熱剤を以て間に合せて居ります...官公私の衛生機関と富豪とが協力して、ミグレニンやピラミドンを中流以下の患者に廉売するような応急手段が、米の廉売と同じ意味から行われたら宜しかろうと思います...同じ時に団体生活を共にして居る人間でありながら、貧民であると云う物質的の理由だけで、最も有効な第一位の解熱剤を服すことが出来ず他の人よりも余計に苦しみ、余計に危険を感じると云う事は、今日の新しい倫理意識に考えて確に不合理であると思います」。
冒頭でお断りいたしましたとおり、これらはすべて100年も前の昔話です。念のため。