弁護士 宮本 督
エッセイ:to be a Rock and not to Roll
50歳の断酒
先日、50歳になりました。生まれてから半世紀が過ぎたというだけのことですが、それでも大きな節目です。
50歳になった私はといいますと、仕事も私生活もそれなりにそれなりです。目出度さも中くらいかなという感じで、とりたてて大きな不満はありません。本当はいろいろ不足しているのだろうとは思いますが、足りないものといっても、貯金以外では特に思い当たるものはありません。仕事の性質上、いろいろな意味で刺激的な経験をさせてもらっているとは思いますが、それも毎日のことですので、プレッシャーや目新しさや驚きを感じたりすることも徐々に少なくなっていきます。
それから、何者でもないまま、何事も成し遂げることのないまま、終わりのない日常が続くことからくるユウウツ・・・そんな心情からも、40歳を過ぎた頃にとっくに卒業済みです(まだ卒業できていない同世代の皆様には、榎本博明「50歳からのむなしさの心理学」 (朝日新書)をお勧めします)。
というわけで、もうここまで来たら、後半生は、だらだらと惰性と惰力で生きていけばいいのでしょうが、少し前から、残り時間も限られていることだし、せっかくなので、これを機に何か始めてみよう、人生を変えてみようとは考えていました。そして思いついたのは「断酒」です。以前、マラソンを趣味にしていたことがあり、フルマラソンの大会に出る前には、100日とか50日とか、そういうまとまった期間の禁酒をすることを習慣にしていたものです。その際に、シラフで過ごすと思ったよりずぅーっと時間を有効活用できるってことや、二日酔いと無縁でいると仕事の能率がぐぐぅーっと上がるってことは経験していましたので、そんな人生を手に入れることにしようかと思い立った次第です。
そして誕生日の少し前、5月下旬のある金曜日に、緊急事態宣言下の東京・銀座の行きつけのバーで飲んだのが最後になりました。翌日、それを最後にすることに決めました。それから飲んでいません。もう35日目(くらい)になります。
なんせ、マラソン前の禁酒以外では、ここ30年ちょっとの間、毎晩、ほぼ必ず、飲んでいました。近年は、自宅で飲むことも増えていましたが、それでも飲まない夜は皆無といっていい生活でした。それが一変です。コロナ禍でにぎやかな世情に合わせたように、私も「新しい生活様式」を始めることになりました。生まれ変わった新しい私。バージョンアップした「ワタシ2.0」です。
お酒を飲んでいると、しばしば(というか毎晩)、時間がどこかに行ってしまうものですが、飲まずにいると、眠りに就くその直前まで有意に時間を使えます。んで、そんな風にして増えた手持ち時間の大部分は、読書に充てています。本を読むのに疲れてくると、昨年から再開しているギターの練習をしたり(この話はいずれまた)、プロの将棋を観戦したり(幼少のころから好きだったもので)なんてこともしてはいますが、それより本です。んで、お酒を止めてまだ1ヵ月ほどしか経っていませんが、以前よりも、本の理解が速く、かつ深くなった気がします(自分調べ)。断酒による「脳髄のええ感じ」は、町田康の「しらふで生きる 大酒飲みの決断」 (幻冬舎)にもある通りで、仕事をしているときや考え事をしているときに、一つのことが別のことにスコっとつながったり、一つのことの別の一面にフッと気付くというようなことが、よく起こるようになった気がしています(自分比)。
もちろん飲みたい夜もあります。一杯だけならいいかなと思うときもあります。不規則にやってくる飲酒欲求との戦いは、(予め想定済みとはいえ)ときに少し辛く感じられます。接待会食の席では、どうして飲まないのかと怒り出す人もいないわけではありません。それから、この国のレストランには、まともなノンアルコール飲料が置かれていないことにも改めて気付かされました(このことは、藤野英人「ゲコノミクス 巨大市場を開拓せよ!」 (日本経済新聞出版)に詳しいです)。でも、お酒を飲まない生活習慣を手に入れるというのは、さまざまなマイナスを補って余りあるプラス要素がたくさんあると実感しているところです。
またいずれ考え方も変わるかも知れませんが、とりあえず10年間は断酒をしてみようと思います。10年後って、60歳になるんですね。恐ろしいことです。10年後の私は、50代をどう振り返ることになるのでしょうか?