弁護士 宮本 督
エッセイ:to be a Rock and not to Roll
ジョン・レノンの享年を超えて
今年10月9日は、ジョン・レノンの生誕70周年に当たる。ちなみに、命日の12月8日からは今年で30年。すなわち、彼が死んだのは40歳と2ヶ月だった。
私も、6月に40歳になって、早くも3ヶ月が過ぎた。知らぬ間に、ジョン・レノンの享年を超えたことになる。
子供の頃、それこそ外国で有名人が射殺されたというあのテレビニュースを見た小学生の頃や、夢中になったロック音楽のルーツとしてビートルズに耳を傾けていた高校生の頃には、自分が40歳になる日が来るなんて夢にも思わなかった。もちろん、2000年には30歳になり、2010年には40歳になり、2020年には50歳になる(!)ということは、計算上は理解していたはずだが、具体的に、自分が40歳になるなんて、まったく想像できなかったということだ。
さて、40歳。
日々、一歩一歩、老いているという事実、死に向かっているという事実は動かし難いのだろう。
しかしながら、少なくとも日常生活のレベルで、頭脳や肉体の衰えを感じることはあまりない。弁護士業務は、経験が相当程度にモノを言うところもあって、私の場合、例えば10年前よりは遙かにマシな仕事ができている(と思う)し、34歳で禁煙し、37歳からヨガを習い始めてエクササイズに目覚め、38歳でランニングを開始して、39歳からは時々の禁酒まで始めてしまったため、肉体の健康については、間違いなく、今が人生のピークにある。
心理的・精神的には、満たされて幸福感と充足感にあふれているという状況からはほど遠いけれど、まあ、「目出度さも中くらいなり」といったところか。もちろん、私は、著名なロック歌手ではないので、40歳だったジョン・レノンの達成した仕事や世界への影響力や生活環境やらと、今の私のそれらとは比較すべくもないが、私にだって、ささやかながら、それなりに満足を感じる瞬間や、人知れず大事にしているモノ事もないわけではない。それらと引換に失われた取り返しのつかない膨大な時間への悔恨を感じることも、もちろんあるけれど(誰にだってあるんだろう。多分。)、そんな私自身の目にしか見えないような小さな小さな幸せのいくつかを、こぼれ落ちないように大切に胸に抱えて、それらをせっせと磨き続けるような日常に、少なくとも大きな不満はない。まあ、今さら他の人生を選びようもないので、現状に不平不満を持っても仕方ないと諦めているだけのことかも知れないけれど。
そんなわけで、私は、40歳と3ヶ月を迎え、あのジョン・レノンの享年を超えたが、特に区切りを迎えた意識はなく、もう何十年も前からただただ続けているように、試行錯誤と悪戦苦闘の繰り返しの日常を過ごしていて、相変わらず不惑というにはほど遠い。私が目指す(本当か?)落ち着いた渋い大人になれるまでには、まだまだ相当な時間を要するようだ。