銀座数寄屋通り法律事務所[旧 中島・宮本・溝口法律事務所] >HOME

弁護士 宮本 督

エッセイ:
to be a Rock and not to Roll

2002.10.17

ただの共同幻想だけど

 昨今、裁判にはとかく批判が強い。遅いとか、常識が通じないとか。それはそうかも知れないが、もめ事が話し合いで決着しない場合や、罪への報いを行うには、裁判所の裁きによるしかないのが、法治国家の宿命だ。
 私も仕事柄、裁判所を利用することは多いが、そこは言うまでもなく、聖なる世界だ。裁判官の入廷は、起立の上、一礼をもってお出迎え。幼稚園児の着るスモッグのような衣装を笑う者は誰もいない。裁判所にもの申す書面は、もちろん「上」申書。そして、そんなことに疑問を感じる人も誰もいない。
 裁判官の皆様だってよくよくご存知で、まさか勘違いしている人はいないと思うが、残念ながら、誰も、偉い裁判官様を尊敬してコウベを垂れてるわけではない。裁判所の利用者たちは、それがたとえ間違っていても、最終的には、裁きを受け入れ、裁きに服するしか、他に方法がないことを骨身にしみて知っているからに他ならない。
 結局、何人も一島嶼にてはあらず。何人もみずからにして全きはなし。ひとはみな大陸の一塊。本土のひとひら...であればこそ、この共同幻想を受け入れる他に道はない。もめ事は、紹介者やこのサイトを通じ、絶え間なく私の電話を鳴らし、私が引き受けた日々の紛争は、私の一喝ではなく、証拠と法律に照らした話し合いか、交渉決裂後の裁きによって解決されていく。私のギターで世界中が踊るはずだった幼い日々は終わったのだ。日産のテレビCMでクラッシュも歌ってる。「俺は法と戦い、法に敗れた」と。
 そんなわけで、私も共同幻想の病から抜けられず、また、抜けるつもりもなく、今夜も、世俗のもめ事と聖なる世界をつなぎ続け、共同幻想に頭を下げ続ける。そは我もまた人類の一部なれば。故に問うなかれ。誰がために鐘は鳴るやと。そは汝がために鳴るなれば。