弁護士 宮本 督
エッセイ:to be a Rock and not to Roll
ダメなものはダメってそんなのダメでしょ
もうずいぶん昔のこと。1996年夏。前年の司法試験に合格していた私は、その年の春から司法修習生となって、札幌へ赴任。そして、札幌地方裁判所での実務研修は、刑事裁判から始まった。
まだ20歳代半ばの私には、教科書で学んだ法律知識しか持ち合わせがなく、恥ずかしながら、ほんものの裁判を目にしたのも初めてのことだった。実際の刑事訴訟で、被告人が無罪を争う事件なんてほぼないことも知らなかったのだが、世間知らずの私を何より驚かせたのは、地方裁判所で審理される刑事事件のほとんど(正確な統計はともかく、感覚的には3分の2くらい)が、覚せい剤取締法違反の事件だったことだ。推理小説に出てくるような殺人事件や誘拐事件や強盗事件なんてめったにお目にかかれず、その当時、まだまだ旬な話題だったオウム真理教に関する事件も係属していなかった(これは北海道だからで、関東の裁判所では、オウム教団の事件も多かったらしいけど)。
目の前の法廷で繰り広げられるのは、朝から夕方まで、ずっと覚せい剤の話。たいていの被告人は、密売人とかではない、末端の購入者で、初めて逮捕・起訴されたという人が一番多かったけど、二度目、三度目の起訴という人も少なからずいた。たいてい、よく知らない人から買ったと言ってみたり、使った回数を少なめに申告しているだろうなと思われたが、逮捕・起訴の直接の対象になった覚せい剤の所持や使用それ自体は、皆、認めていて(ブツ自体が見付かっていたり、あるいは尿から覚せい剤が検出されているから争いようがない)、反省を口にして、二度としないと約束して、家族や近しい知人が情状証人としてやってきて今後の監督を誓って、裁判は一回で結審。翌週とかに判決の言い渡しがされて、初犯の場合は執行猶予。二回目以後は実刑で、相場通りの判決が、ベルトコンベアのように言い渡されていた。
これから一生の仕事として携わることになる法曹の世界って、こんなものなのかと愕然としつつ、強い違和感を覚えたのが、そういった覚せい剤事件の裁判で、若い検事たちが(札幌地裁の法廷に来ていたのは、任官して一年目とか二年目とかの新米の検事が多かった)、被告人に対し、「どうして覚せい剤が法律で禁じられているか分かっているか」と尋ねることだった。そして、被告人が上手く答えられないと、反省してるなんて嘘じゃないかと言って法廷で得意げに詰問したりしていた(イジメかよ)。
正直、司法修習生の宮本君も、どうして薬物が規制されているのか、よく分かっていなかった。しかも自分で勉強するのも億劫だったもので、裁判官や検察官と会話する機会があると、「どうして覚せい剤が法律で禁じられているのか」をよく尋ねてみたものだ。一番多い答えは、「暴力団の資金源になるから」だった。しかしそれなら、暴力団を取り締まればよい。検察や警察が、暴力団を取り締まる力がないから、(暴力団の助けになると知らず)薬物に手を出した人が刑事罰を受けるというのがどうしてもよく理解できなかった。
そしてあれから幾星霜。弁護士になって20年以上のキャリアを重ねることになったが、この問題はいまだにぜんぜん理解できていない。暴力団の資金源化を防ぎたいなら、ドラッグを解禁して、公的に管理して売買すればよい。「依存性があるから禁止すべき」だという議論も見かけるが、大麻よりはるかに強力な依存性のあるタバコを禁止するべきとの主張を目にすることはない。依存対象が法で禁じられるべきというなら、酒やギャンブルはもとより、宗教もSNSも、あるいはセックスだって禁止されてしかるべきってことになりかねない。
覚せい剤やヘロインといったハードドラッグはともかく、少なくとも、大麻や合成麻薬といったソフトドラッグについて言えば、酒と同様に取り扱われるべきというのはそれなりに説得力がある考え方で、ドラッグ(酒)を摂取するのはその人の嗜好の問題で個人の勝手(誰の迷惑にもならないから)、ドラッグ(酒)に依存して生活が破綻したりするのはその人の自己責任。もちろん、依存症を克服しようと努力する人に対する何らかの支援が否定されるべきでないのは、酒でもドラッグでも同じこと。ソフトドラッグの製造・販売を管理して、そこからの税収を薬物依存症への治療に充てるというのもありだろう。
しかし問題なのは、この国では、そのようなことを議論することそれ自体が許されていない点にある。例えば、このような案に対し、ソフトドラッグだって、ハードドラッグへの入り口となるから、取り締まりの必要があるなんていう反論がされることはあまりない。このような反論なら、ヨーロッパの大麻が解禁されている国と禁止されている国とで、ハードドラックの使用状況を比較しようとか、そういう建設的な議論ができるわけだが、この国では、「ダメなものはダメ」というように議論それ自体が封殺されていて、しかも、多くの人はドラッグがどういうものなのかを知らないし、それがどうしてダメなのか誰もよく分かってなくて(ルール違反を裁いている人たちだってよく分かっていないんだから)、結局、芸能スキャンダルの一つでしかなく、逮捕された有名人をマスコミやらネットやらで袋叩きにして全否定するだけという、それこそダメダメな状況になってしまっている。子供への悪影響とかを声高に言う人も、テレビCMであれだけ酒が売られていることや、街中にあんなにパチンコ屋があることを問題視することはない。
先日、来年のNHK大河ドラマに出演が予定されていた有名女優が、自宅で合成麻薬を所持していたとして逮捕・起訴された。大河ドラマは代役を立てて撮影をし直し、放映開始が遅れるらしい。別にそのまま放送すればいいじゃん。だって、台本で決められたセリフを読んでるだけで、テレビで麻薬の大売り出しとかをするわけでもないんだからさ。でもそんなことより、沢尻エリカさんには、検察官や芸能記者から、「悪いと思わなかったのか」「反省しているのか」といった紋切り型の質問がされるんだろうが、そんな問いかけに対しては、冷たい目線を投げて、「別に」と言い放ってもらいたい。そのことが、ドラッグの規制のあり方についての議論の始まりになるかも知れないから。って、そんなわけないか。