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弁護士 宮本 督

エッセイ:
to be a Rock and not to Roll

2019.03.26

ランニング生活の終わり

 昨年(2018年)3月にフルマラソンを走ってから、一年以上が過ぎた。荒川の河川敷で開催された板橋CITYマラソン。完走タイムは4時間30分台だった(正確なタイムは覚えていない)。この時に、左ヒザを痛めてしまい、その後、治ったかなと思い、ランニングを再開すると、決まって5キロか6キロくらい走ったところで、左ヒザの同じ箇所が痛み始めるという症状が続き、そのうち梅雨の時期になり、そして暑い夏を迎え、自然にランニングから遠ざかることになった。正確に言えば、6月下旬にハワイ島で開催されたマラソン大会の10キロの部に参加したり、秋には、週末に少し走ったりしたこともあったのだが、もう熱心にトレーニングに励むことはなくなってしまった。この先も、以前のような毎朝のランニングを再開することは、多分もうないだろう。私がランニングを始めたのは、2009年の春(38歳だった)だから、この趣味は約9年間で終わりを迎えたことになる。
 ヒザの怪我は、もう完治している(はずだ)。それなのにもう走らないのは、結局、以前ほど走ることに対して熱意を持てなくなったからだ。
 ランニングを始めた当初、1キロだって、走り通すことはできなかった。早足で歩いたり、少し走ったりをしながら、走る時間をだんだん長くしていったものだ。そうするうちに、練習で、初めて21キロ(ハーフマラソンの距離だ)を走り通せた時は、達成感から少し感動した。あの頃から9年間、ほぼ毎日のように早朝に起き、出勤前に7キロから10キロくらいを走るというのが日課になって、副次的に夜遊びも控えるようになり、肉体的にはもちろん、精神的な面でも、ずいぶん健康になったと思う。熱心な市民ランナーの例に漏れず、ハーフマラソンやフルマラソンの大会にも出場を続け(海外の大会にも何回か出掛けて行った)、次のレースを目標にトレーニングに励むということが生活の重要な一部になっていた。
 その熱意がどうして失われたのか。端的に言えば、記録が伸びなくなったことが大きい。
 走り始めてから2年半で、フルマラソンで4時間を切ることができ、そうしたら、次は3時間45分とかを目指してトレーニングを積むようになったのだが、結局、9年の間の自己ベストは、ハーフで1時間49分、フルで3時間59分。それ以上に記録が伸びることはなかった。40歳代も半ばを迎え、年齢的な体力の衰えと時期が重なったこともあるのだろうと思うが、同じトレーニングを積んでも、徐々に疲労回復に時間がかかるようになり、体重は落ちにくくなり、結果として、記録がまるで潮が引くように悪くなっていく中で、走ることのモチベーションを維持することが難しくなっていった。それでも、マラソンはあくまでも趣味で、健康のためにやっているのだからと自らに言い聞かせ、毎朝の練習は続けていたのだが、ルーティーンの退屈な繰り返しになってしまっていた。当たり前だが、トレーニングをだらだらと続けているだけでは、記録はますます低調になっていく。そうするとますますやる気が失われていく。そこにヒザの怪我である。ちょうどその頃、筋トレを始めることになって、運動不足の心配もなくなり、ランニングを止める正当な理由がそろうことになった。
 というわけで、毎日のランニングから遠ざかるようになって、1年が過ぎた。最大の変化は、忙しい朝に時間的余裕ができたこと。心配していた体重の増加はそれほどでもない。
 靴箱の中のランニングシューズや、引き出しの中のランニングウェアを目にすると、一生懸命に走っていた頃を思い出し、少しだけ寂しさを感じる。もう日常的に走ることはないとしても、たまには、ゆっくりのんびりとジョギングを楽しむことがあってもいいかなと思う。冬の間は、それも億劫で先延ばしにしていたのだが、ようやく春が来た。この週末は、隅田川の川沿いの満開の桜並木を走ってみよう。懐かしい友達に再会するような気持ちになれそうだ。