弁護士 宮本 督
エッセイ:to be a Rock and not to Roll
社外役員の楽しみ
最近は、会社の不祥事が報道されると、社外取締役とか社外監査役の存在意義がセットで問題にされるようになってきた。昔は、役員というのは、平社員が出世してなるもので(今でもそうだけど)、社外役員なんてほぼいなかったし、いてもそれが機能するなんて、誰も期待していなかったから、誰も問題視しなかった。だけど、今や、上場会社のうち、社外取締役が存在する会社は60%を超えているそうだし、上場会社に限らず、そこそこの会社になると、社外役員を置くケースが増えてきている。
社外役員にもいくつかパターンがあって、まず多いのは、有力取引先出身者。昔ながらの存在だけど、ガバナンス的には、これは本当に無駄(な場合がほとんど)。その役員さんも、会社の方も、お互いに迷惑をかけないように気遣い合うだけで、そういう役員さんは思い切った意見なんて言うはずがないし、そもそも会社の方だって、重要な情報は耳に入れないから、何の判断もできるわけがない。会社にとって、その取引先との関係強化には有効なのかも知れないけど、お飾りに過ぎないことは、当の本人も百も承知というケースが大半。海外の機関投資家連中は、日本の上場会社に「とりあえず」社外取締役が導入されることを希望するわけだけど、日本の企業風土をまったく知らないってことはないだろうから、分かっちゃいるけど、海外での判断基準を、無理矢理、形式的に持ち込んでいるに過ぎないのだろう。
それから、社外役員のパターン2は、有力株主の関係者。典型的には、ベンチャーキャピタルの担当社員さんだったり、担当役員さんだったり。上場準備中の会社で、外部からの資金調達をしている会社に多いパターン。有能な人材が多いけど、ベンチャーキャピタルとしては、早期の上場によるキャピタルゲインを得る必要があるわけで、どうしても長期的な視点には欠けがち。
それと、社外役員のパターンの最後の典型例が、弁護士と会計士。業務や会計の適法性や適正性について、専門家としてのジャッジが期待されての起用だ。
前置きが長くなったが、ここからが本題。
私も、何社か、社外役員をやらせてもらっている。月に一度、会社に行って役員会に出席しているだけでなく、日常的な法律相談を受けたりもしている。そして、社外役員となると、いわゆる顧問弁護士としての立場とは違い、もう一歩踏み込んで、会社としての全体的な判断に関与することになる。つまり、顧問弁護士としては、会社の判断が適法か違法かというレベルで意見を言うのが仕事なわけだが、社外役員としては、それを超え、企業理念の方向性といった大所高所の問題から、具体的な案件についてもより有効な方法はないか、もっと合理的な解決はないかという点についてまで、意見を言う必要がある。例えば、ある事業から撤退するかどうかとか、同業他社との競争政策とか、あるいは会社の人事とか、役員会にはいろいろな議題があるのだが、社内の皆さんが当たり前と思うことについて、社外の人間としては違和感を覚えることは相当あって、そういう場合、できるだけ(その違和感が業界への無知から生じていると思わない限り)、発言を躊躇しないようにしている。もちろん、私の意見が通るとは限らないのだが、それでも、ちょっとした確認や質問をさせてもらうことで、自分なりに業務や財務・収支の状況をある程度把握できるようになるし、それなりのディスカッションがされれば、参加している他の役員の皆様の案件への理解も深まるし、社外の人間が疑問に思う点が明らかになることで、それ以後の役員会での議題の説明も徐々にブラッシュアップされていくことにもなる。
ただもちろん出しゃばりは禁物で、常勤の他の役員の方々の一次的な判断を尊重しながらご意見申し述べるということになるわけだが、そのあたりのバランスはなかなか難しいのが実際。でも、本業の弁護士業務とは違う立場での仕事は、結構、面白くて、特に伸び盛りの若い会社の社外役員をさせてもらうのは、とても刺激的だ。先日も、ある会社の役員会の席上、新規事業の提案を聞きながら、こんなことよく考えつくなあと感心しながら、このような仕事の誕生の瞬間に立ち会える幸福を感じた。弁護士の仕事は、どうしても、ビジネスを「後から」チェックするということが多くなるが、会社に入れば(社外役員としてだけど)、それを「前から」、すなわち試行錯誤を含めた生成過程を見ることができるわけで、比喩的だが、脳ミソの別の部分を使っているような面白みを味わえる。弁護士以外の方に、このような話しをしても、うまく理解してもらえないとは思うのですが。