弁護士 宮本 督
エッセイ:to be a Rock and not to Roll
ノンアルコールの人体実験
飲み過ぎての失敗談は色々聞くが、私の場合は、とにもかくにも飲酒後の記憶喪失(ブラックアウト)だ。
翌朝になると、酒席でのもろもろが、途中からまったく記憶にない。家にはちゃんと帰っている。財布には飲み屋やタクシーの領収証も入っている。店の会計をして、タクシーを拾い、自宅までの道順を指示してもちろん支払をして、帰宅して寝巻に着換え、ベッドにもぐりこんだはずだ。しかし、何も覚えていない。そんなことが、時々、というかしばしば、というか最近では毎回のこととなってしまった。
これって、結構、自己嫌悪状態に陥る。なんせ、前夜、何をしでかしたか何を言っていたのか、まるで思い出せない。酷いときは行った覚えのない飲み屋の領収証が財布から見付かる。最後の店は誰と行ったのか?悪い展開をいろいろ想像する。頭から布団をかぶって七転八倒。しかし、そんなことをしたって何も変わるわけではなく、結局、いつものとおりの一日を過ごし、日が暮れると、また夜の街に吸い込まれ、酔っぱらいになって、翌朝は・・・。とにかく、私自身、酒をコントロールできないことは、最大の弱点と自覚していた。
先日、3日連続のブラックアウトに落ち込み、その翌日(3月26日の金曜日だった。)は、久しぶりに会う友人と食事をする約束だったのだが、約束の時間を過ぎてもその友人は来ない。電話をしてみると、2日前の夜中に、急な出張が入ってその日は行けなくなったと電話で話をしたと言う。・・・覚えてない。確認してみると、携帯電話の履歴には、その友人と話した痕跡があった。しかし、内容は思い出せない。というか話しをしたこともまったく記憶にない。
打ちのめされた私は、その日だけは、一滴も飲まずに帰ることにして、本屋に寄って、アルコール依存症やら酒乱やら、そんなことに関係する書籍を買い込んでみた。
以下は、私のお勉強の成果のホンの一端。
- アルコール依存症の典型的な症状として、目覚めるとすぐに酒を飲み、酔いつぶれて倒れ、また目覚めると飲むという「連続飲酒発作」、アルコール分を含んだヘアトニックまで飲んでしまうというような「クレイビング」(アルコール探索行動)、暴力を振るうなどの「問題飲酒行動」、体内からアルコールが抜けたときに手のしびれや幻覚などが起きる「離脱症状」などが挙げられる。
- アルコール依存症の多くは、「強迫的飲酒」といって、飲み始めると自分の意志では止まらなくなって酩酊するまで飲んでしまうところから始まる。
- ブラックアウトとは、「順行性健忘症」と呼ばれる状態の一つ。脳内のアルコール濃度が高くなり過ぎると、記憶の形成をつかさどる海馬という脳の機関の神経細胞が働かなくなり、記憶を形成できなくなる。血中アルコール濃度が0.3%を超えた場合に起こりやすい。
- お酒を飲むと気持ちがよくなるのはなぜか?気持ちよさとは、当然、脳で感じるもの。入学試験に合格したときや仕事で大きなプロジェクトが完成したとき、脳内麻薬が分泌されてドパーミン(快楽物質)が放出され、これが脳内の受容体と結合することによって快感という報酬を得る(報酬系と呼ばれる。)。アルコールは、脳に薬理学的作用をもたらし、人工的に、快感を人間に与える。
- 快感という報酬を得るのが容易であればあるほど、その行動に対する依存は形成されやすい。飲酒には、受験勉強や下準備の仕事というような地道な努力が要求されず、連続した快感を得るのが容易で、しかも、「抗不安作用」も相まって、余計に依存が形成されやすい。
- アルコール依存症に対する治療方法は、唯一、断酒しかない。
私は、別に、朝から酒を飲んだり、酔って暴れて警察沙汰を起こしたり、酒が抜けると手が震えたりとか、そんなわけではない。少し飲み過ぎのキライはあるが、一応、普通に社会生活を送っている(つもりだ)。したがって、私は、アルコール依存症ではない。断じてない。多分違うと思う。違うんじゃないかな。まあちょっと覚悟はしておけ(古い?あ、そう)。ただ、アルコール依存症って、患者は、ほぼ例外なく「自分は違う」ということから「否認の病」と言われているらしい。放っておいてくれ。
さて、病名はさて置き、私自身のブラックアウト問題をどうするか。簡単。要するに「適量」で止めればいい。ただそれだけのこと。 しかし、私には、それができない。そんなことができるなら、アルコール依存症の書籍をどかどかと買い込んできたりはしない。私は、酔っ払ってくると、だんだん制御不能状態になる。5杯までと決めていても、もう一杯だけ行こう、お祝いの席だから今夜だけは大丈夫、となってしまうタイプだ。お酒そのものの味が好きということもある。飲む場の雰囲気が好きということもある。体が丈夫ということも酒に耐性ができてしまったということもあるだろう。少しの酒では止められない。「強迫的飲酒」の症状か。
友人との会食がキャンセルになった金曜日から、週末にかけて、いろいろな本を読みあさりながら、 とりあえず、飲酒そのものをしばらく止めてみようかと思った。飲み始めると止められないので、一晩に飲む量を制限することは現実的ではない。私の悩みはブラックアウトなので、飲む回数を制限することは意味がない(ブラックアウトの回数は減るかも知れないけど。)。しばらく酒そのものから遠ざかってみて、体や心理状態や生活やその他にどのような変化が生じるか、または生じないか、禁酒は続けられるか、続けられないとしてもブラックアウトを防ぐ手立てがあるか、ちょっとした人体実験だ。
偉そうなことを言うつもりはないが、あまり知られていないようなので敢えて書くと、アナタが何らかの問題を抱えている場合、その解決にあたって必要なのは、いつだって具体的で客観的で現実的な事柄であって、抽象的で主観的で観念的な何かは助けにならない。例えば、ダイエットに必要なのは、食べたくても我慢するという「強い意志」ではない。食生活や行動パターンの問題点を把握し、食品のカロリーなどの知識を得て、現実的な対処を講じ、試行錯誤と軌道修正をすることだ。努力や根性、我慢は、必要ないわけではないが、そんなものだけでは長続きするはずがない。
そんなわけで、私の人体実験としての禁酒生活が始まった。酒を止めてみて、飲みたいと感じるか、飲みたいのはどんな場合なのか、そのとき、どうすれば飲まずにいられるか、飲まない夜をどうやり過ごすか、飲まない日々は、肉体や精神や日常生活や仕事にどのような影響をもたらすのか。
人体実験を始めて約1ヶ月。とりあえず一滴も飲んでいない。こんなことは、有史以来だ(私にとってはということだけど。)。 実験結果もいろいろ書いてみたい。はっきり言って、生活が一変した。だけど、まだ結論めいたものも出ていないので、また、そのうち。
しかし、この実験、いつまで続けようかな?
忘れないうちに、取り急ぎ、ご挨拶を。
馴染みの店のバーテンダーの皆様、飲み屋の店員各位、それからクラブのお姉様方。
これまで大変お世話になりました。しかしながら、しばらくの間、お伺いすることができません。もしかしたら、もう一生お会いすることもないかも知れません。本来なら、お目にかかってご挨拶申し上げますべきところ、誠に略儀ながら、WEBサイト上にてお別れの言葉に替えさせて頂きます。いつもながらのご無礼ではございますが、本日は記憶も明白でございます。ご海容の程、よろしくお願い申し上げます。