弁護士 宮本 督
エッセイ:to be a Rock and not to Roll
ローリスク・ハイリターンの悦楽
資産運用の方法として、例えば、定期預金は「ローリスク・ローリターン」で、株式投資は「ハイリスク・ハイリターン」といわれる。もし、「ローリスク・ハイリターン」の金融商品があれば、誰もがそれを購入するだろう。
同様なことは、キャリアプランについてもいえるはずだ。私自身についていえば、周囲の多くは、大学卒業の後、公務員や会社員になったが、私は、大学を卒業した後も、当時はまだ合格率の低かった司法試験の勉強を続けていた(結果として、あまりハイリターンではなかったが、その点はまたいつか)。
しかし、日本の労働市場では、こんな当たり前のことが歪められている。リスクの低い地位に安住する正社員のリターン(賃金)の方が、ハイリスクの非正規雇用者の賃金を大きく上回っているのだ。そんなことなら、非正規雇用者も、ローリスク・ハイリターンの正社員になればいいのだが、そうはいかない。正社員は、容易に自らのイスを譲らないし、会社も無能の正社員のクビを切れないからだ。
諸悪の根元は、解雇規制にある。
昭和50年。最高裁判所は、「使用者の解雇権の行使も、それが客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当として是認することができない場合には、権利の濫用として無効になると解するのが相当である。」とした。これは、近年、労働契約法に取り入れられて立法化されたが、この解雇権濫用法理によって、実務上、会社は、とにかく解雇ができない。絶対できないということもないのだが、かなり難しい。私たちも、会社側の相談を受ける場合、解雇しても裁判では相当な確率で負けちゃうことを説明して、解雇以外の方策を採るようにお願いすることが多い。
会社としては、解雇できないとなると、正社員を雇えないということになり、雇用調整のため、契約社員や派遣やアルバイトを活用することになる。結果、ハイリターンを得られる正社員の地位は安泰で、それに対し、ローリターンの非正規雇用者は雇用の調整弁として、吹けば飛ぶような立場にならざるを得ない。
よく指摘されていることだが、解雇が原則として自由のアメリカより、雇用規制の厳しいヨーロッパ諸国の方が、失業率も高く、失業期間も長い。解雇を規制することは、既に雇用されている労働者には有利だが、会社が新たに労働者を雇用するインセンティブを失わせるので、現時点で雇用されていない失業者や非正規雇用者には不利に働くのだ。労働組合やマスコミが「労働者保護」をいうとき、連中の胸中にあるのは、正社員(組合員)の既得権に過ぎない。例えば、最低賃金の引き上げは、いま働いている労働者には望ましいが、労働需要を減らすことになるので、失業者や非正規雇用者の保護にならないだけでなく、かえって不利に働く。
大学卒業時にタイミングが悪くて不景気だったりすると就職先がなく、その後も、正社員達はイスを譲らず、会社も無能中堅正社員のクビを切れないので、就職にあぶれた若者は、ワーキング・プアとしての地位が固定されてしまう。
そんな閉塞して硬直した「身分社会」を打破する方法は、実は簡単。解雇を自由にすればよい。そうでなくても、解雇規制を緩めなければダメだ。会社も、解雇が自由であれば安心して人を雇えるし、有能で意欲のある労働者なら仮に解雇されても別の会社が雇う。だって、もしミスマッチが生じても直ぐに解雇できるんだから。腕一本で高報酬を求めて会社を渡り歩いていくハイリスク・ハイリターンな生き方もあり得るだろう。雇用機会が増えるので、一時的に退職して、しばらくしてから、再び正社員として働くというような生き方だって今より現実的だ。他方、そのような度量はないけど、コツコツとローリスク・ローリターンな人生を選択する人だっていてもいい。
しかし、世の中は変わらないんだろう。 労働組合が政権をとるような、この国の縮小均衡な気分には、もう、うんざりだ。