銀座数寄屋通り法律事務所[旧 中島・宮本・溝口法律事務所] >HOME

弁護士 宮本 督

エッセイ:
to be a Rock and not to Roll

2009.08.31

ラストキス

 自分では信じられないことだが、私は、もうすぐ不惑という年頃だ。「人生の半分が終わってしまった。それも、いい方の半分が」(by石田衣良)。んで、弁護士になってからも結構な年数が経ち、法律事務所の経営ももうすぐ10年目を迎え、事務員さんたちだけでなく、若い弁護士さんたちも雇っていて、お客さんもそれなりにいてくれる。
 しかし、私の心の中には、「さぁて、ボクは、大人になったら何になろうかな?」という感情が抜けがたくあって、自分でも、さすがにこれはまずいなと思う(こともある)。
 こんな風に思うのって、まず、職業のせいかなって思う。弁護士って、浮草稼業みたいなもので、まあ要するに、原則的には事件がないと仕事がなくて、仕事がなくなるとお金がなくなるという完全受注産業なわけで、そうすると、事務所に行っても仕事がないような日は、朝から酒を飲んでたっていいわけで(って飲んでないですけど)、どうも何となくふわふわした感じが抜けないのかも知れない。違うかな?まあいいや。
 それから、子供がいないってこともあるかな。子供を育てなければとなると、子供のためにはしたくもない仕事だってしなくちゃならなくって、少なくとも「飢える自由」なんて享受できるはずもない。私だって子供を持てば、落ちついた大人の男性の雰囲気をムンムンと醸し出すようになるんじゃないかしら。
 そんなわけで、「ボクは、どんな大人になろうかな?」って、ぼーっと、バーのカウンターとか、そば屋の片隅とかで、一人で、少しニヤニヤしながら、いろいろな夢を見る夜がある。恥ずかしいけど、実は、結構ある。完全な子供気分。
 子供って、素晴らしい。夢いっぱいだ。まだ何者でもなくて、これから先、何者にでもなり得る(ホントのことを言うと、能力も努力も運も必要だけど、そんな「夢」のない話はしたくない)。ところが、大人になると、嫌な仕事を嫌味な上司に押し付けられてイヤイヤこなして、満員電車に揺られた後バスに乗り換えて帰宅して、日曜日にはあんまり可愛くない我が子(主観的にはともかく、客観的には全然可愛くないでしょ。ふつう)を混雑した遊園地に連れて行って、まあ要するに、ため息をつきながら、それでも他の人生を生きることはできない。大人になるってことの少なくとも一つの側面は、だんだんに選択肢が狭まって、そして最後には何の可能性も残らないってことなわけで、やっぱり、今の私は、まだまだ子供ってことになるのかも知れない。
 週末に、「ラストキス」って映画をDVDで観た。
 主人公の青年は、恋人が妊娠して「デキちゃった婚」を迫られ、人前ではそれを喜びながらも、その実「人生が終わった」と感じてる。そんな中、旧友の結婚式で女子大生と出会って誘惑されちゃう。主人公の他の友人たちも、妻や恋人との関係でトラブルを抱えていて、友人たちはメキシコに旅立つ。映画の本筋とは少し外れるんだけど、この映画では、メキシコが、おとぎの国として、自由、つまり無限の可能性の象徴として描かれていて、だからメキシコへの旅立ちの直後、妻子の元に慌てて帰る一人は、つまらない大人の日常へ回帰する者とされている。
 この映画、男性側のマリッジブルーをネタにしたラブコメという宣伝だけど、そんな軽いものじゃない。確かに、結末にはがっかりするけど、まあそれはハリウッド映画なんだから仕方ない。この映画の語りかけるテーマは、もう少し、重くって深いと思う。
 私もメキシコに行ってみたい。そして願わくば、そのまま帰って来たくない。子供がそんな風に感じる映画である。