弁護士 宮本 督
エッセイ:to be a Rock and not to Roll
神の見えざる手鏡
市場経済においては「神の見えざる手」によって需要と供給が自然に調整される-というのは経済学者アダム・スミスの有名な言葉だが、今回は、「神の見えざる手鏡」の話。東大経済学部卒、野村総研の主席エコノミスト、早稲田大大学院教授、経済学者で43歳。スーパーエリートの心の奥底にぽっかりと空いた深い落とし穴。手鏡を使ったノゾキで逮捕され、積み上げてきた信用を一瞬にして失った彼の話である。
彼は容疑を否認しているが報道されていることが事実なら、誰でも思うだろう。彼は、あり余るほどの金を持っていたはずだ。手鏡なんて使わなくても、その金を使えば、いくらでもホットでスパイシーでエキサイティングでファンタスティックな思いは遂げられるだろうにと。経済学者のくせに、余りにもハイ・リスクでロー(ゼロ)・リターンな行為だと。愚かしく嘆かわしいと。
でもね。彼だって、罪悪感というものを備えているし、あんな愚行がいかにハイ・リスクかも理解している。捕まればどうなるか、重々承知していた。そして、だからこそ、やめられなかったはずだ。人混みの中で隠し持った手鏡の微妙な角度。だが、見付かればすべてを失う。そんな一歩間違えば地獄を見るかもしれないというスリル感が最高の快楽だったはずである。
何が、彼を女子高生のパンツに向かわせたかは分からない。抑圧感か、閉塞感か、自己同一性の欠如か、あるいは単なる変態だったのか。
パンツ一枚で人生のすべてを棒に振った彼に、みんな、呆れる。笑う。確かに、彼は、逮捕によって、これまで積み上げてきた過去をすべて失った。しかし、逮捕されたとき、彼の心は、破壊願望の成就によって最高のカタルシスで満たされていたはずだ。絵に描いたような人生転落のカタルシス。
彼は、逮捕によって救済された...と思うが、私には、ノゾキやチカンの嗜好はないので念のため。